原宿に死す

お前が消えて喜ぶ者はオールで殴ればすぐに死ぬ

世の中には知らない果物がたくさんある

未知の果物はすこし心が躍る。

未知と言っても大袈裟なものではない。スーパーに行けば時期によっては並んでいるがほとんど食べたことのないすもも、びわ、アボカド(アボカドは果物分類でいいんだよな多分)、その他いろいろなマイナー果物たち。

それより更にマイナーなものもある。一般流通がほとんどされていない野山で取れるような、そしてそれ本当に商業果物と比べてそこまで食べ応えあってうまいか?という小さな実。桑の実やコケモモ、山イチゴ……否、食べれば確かにうまいのだがとにかく実が小さくて栽培するほどのうまみがない、というものだ。通販で手に入ることもあるが、少なくとも僕は苗単位でしか売っているのを見たことがない果物もある。

グミの実だ。


15年前の父がグミの実をどこで摘んできたのか、僕は未だに知らない。


父は週末をパチンコ店で過ごす人だった。とはいえ無理に連れて行かれて車の中に置き去りにされていたわけでもなし、行きたいと言えば動物園や水族館などにはしょっちゅう連れて行ってもらえた。そのどれもが父との二人旅行だった。

僕が父のお気に入りであったことは薄々勘付いていた。

思春期に入り、クラスメートに家族との休日を見られることを何よりもの恥と恐れていた兄は父だけでなく母や僕のことも避けていたからやむを得ないだろう。数年前、父の元同僚と話したことがあるが、みな口を揃えて「梅太郎くんの話をよくしていた」と言っていた。それはすなわち、兄の話はしていないということと同義でもあった。こそばゆいような、気まずいような思いは、どちらに天秤を傾ければいいのかわからないままだ。

妻の両親、田舎の家で強権を持つ妻、距離を置くようになった長男。いわゆるマスオさん状態の父の味方は次男である僕だけだったのだろうか、と考えては、まるでこれではあの頃の父に同情して肩入れしているようなので嫌になる。

父の突然の失踪に対してだって、僕は特に何も思ったことはなかった。本当に、ただの一度も。

思うことがあるのは母だけだった。だから母に「お父さんと連絡は取っているの」と尋ねられれば、馬鹿話に切り替えてなんでもないことのように流すのがルーティンになっている。

実際、父とは連絡をとっていない。連絡先も知らない。

一度だけ、電車で似た人を見かけて息が止まりそうになったことは、ある。



父が失踪するずっと前の、ある日の休日の午後。祖母が夕飯の支度をしているのを待っている間に帰宅して間もない父から二つの小さな赤い実を渡された。

「グミの実だよ」

「グミ?」

それがお菓子のグミでないことはもちろんわかっていたのだが、父が嬉しそうに「お菓子じゃないぞ」と笑っていたので何も言わなかった。

赤くてほんのり黄色がかったその実は本当に綺麗だった。つやつやしていて虫穴など一つもなく、へたの部分に花を寄せると甘い匂いがして、ふっくらとした曲線は絵に描いたようだった。

『完璧な果物』というものがあるのならこれなのだろう、と思うほどにありとあらゆる要素が果物然としていた。生まれて初めて見る小さな木の実だというのに!

食欲というか食を司る感情が幼少期から異常に強いことは最近自覚したが、それでも作り物のように完璧な木の実を口にすることはできなかった。

もらったグミの実はしばらくテーブルの上の大事なもの入れに置いておいた。しかし果物であるからにはカビが生えてくるのも必然の定めであり、完璧な果物であったグミの実はそのフォルムをあっけなく崩壊させてしまった。

カビを爪先で削り取り、消毒もしていない野生の木の実を食べた。甘くて少しだけえぐみと酸味があって、ずっと常温で放置していたからぬるくて、それでも今まで食べたどんな果物とも違う味でなによりも美味しかった。

父は確か、「食べちゃったの」と驚いていた気がする。その驚きが何に対するものだったかは知らない。


あの日、きっと父はパチンコに負けたのだろうと思う。手ぶらで帰る道すがら、林の野生の木か、はたまたどこかの庭からはみ出たグミの木から一粒二粒拝借してきたのだろう。共犯にはなりたくないので法的に問題のない場所からであってほしい。

父はお菓子の類を食べない人だった。実家を思い出すからか果物は喜んで口にしたが、人工の菓子類は眠気覚ましのブラックガム程度しか噛まなかった。

父の車に乗ると時折置かれていた場違いな菓子箱は、きっとほんの少し勝てた日に持って帰ってきて私たち子供にあげるのすら忘れてそのまま置きっぱなしになっていたものだったのだろう。どちらでもポッキーの味は変わらない。


グミの実の旬は梅雨時、春グミと呼ばれる種はちょうど今の時期かららしい。だから思い出したわけではない。だから父の話をしたくなったわけでもない。

本当に、父の対しての感情は何もない。嫌いですらない。きっと、何もかも知らないからだ。

だってあの人はよくわからない人なのだ。高校を辞めた時だって、「中退したのは突然姿を消した私のせいなのでしょう。本当に申し訳なく思っています」と反応に困りまくる手紙が来た。英語ができないからだと反発したいのに、父のフォローをしているみたいになるから本当に嫌でそれだけが困った。

大学に合格したメールを送った時も「心から喜んでいます」とめちゃくちゃ敬語で反応しづらい返信が来た。大学祝いのよくわからんスポーツ腕時計はいつの間にか母に売られてた。

毎年不器用に送られてきた誕生日プレゼントの図書カードも2年前からない。これは普通に悲しい。

やっぱり、父のことはよくわからない。


きっと、これから死ぬまで、父のことは知らないし知ろうと努力することもないと思う。


子供の時は、父の吸っているセブンスターの値段も知らなかった。

いつかはグミの実をもう一度かじってみたい気もするが、それはまだ先でいいとも思える。