原宿に死す

お前が消えて喜ぶ者はオールで殴ればすぐに死ぬ

好きな服着て生きていけ

「お母さんオシャレな人嫌いなんだよね」


だからお父さんと結婚したの、という冗談交じりの母の言葉は、特段僕を抑圧するものではなかった。その時だってふぅん、で終わった。だけど僕が服装について全くの無知の状態のまま成人したのは事実だった。親を糾弾するつもりも、過去の自分を責めるつもりもない。ほとんど不在の両親の代わりに祖母に育てられ、本を読むしか能のない地方の少年にファッションに興味を持てという方が酷だ。


服装について自発的に行動したことがほとんどない。服を買ったことすらほとんどないのではないか。親戚の中で最も歳下である僕の元には必然的にお下がりが残されていた。祖父、母、3歳上の兄、1人の従兄、4人の従姉(のちに3人になる。兄と同い年だったひろちゃんは病死だった。追い越すどころかもう倍の年齢になってしまった)、顔も続柄も知らない遠縁の誰かたち。幸か不幸か、女性でも170cm以上が普通の家系で僕だけ平均よりやや……わずかに……心なしか……小さいので着られないものはほとんどなかった。幼少期の写真を見れば、どれも袖が余った服を着た少年が仏頂面でカメラを睨みつけている。


好きな服はなかったが嫌いな服はあった。ガーリーな服が好きな従姉のかなちゃんがくれる、リボンがついたピンクの服だった。そういう服を着ている時、ほぼ間違いなく僕は女の子に間違われた。「汚れるので捨ててもいい服で来てください」と言われた芋掘りの日は、かなちゃんがくれたピンクのロリータチックな服を着ていった。泥だらけになったその服は当然その日のうちに捨てられた。

ピンクが憎いのは物心ついた時からずっとだった。

女の子に間違われることが何より嫌だった。可愛いと言われれば一日中不機嫌になり、早熟ゆえ覗き始めたインターネットで覚えたミソジニーを口にし、「ジョシ」から遠いところにいようとしていた。一向に声変わりしないことを危ぶんで、殊更に「オトコ」でありたかった。暴力で男性性を誇示しようと暴れまわっていた。端的に言えば、ガキ大将だったのである。この過去の悪行については口を閉ざさざるをえない。


一般的に洋服の趣味に目覚める思春期の頃にも特に好きな服が定まることはなかった。というより、恐らく中高6年間を通してパジャマと肌着以外を買っていない。依然お下がりがもらえる立場だった所為もあるが、土日でも制服を着て学校に行かざるを得ない落ちこぼれだったからだ。微妙な色合いのネクタイを胸元に置くブレザーは近隣の学校と比較してもオシャレとは言い難く、「ダサいよな」と言い合いつつも、質実こそが美徳と言われた僕たちは真面目に第一ボタンまで閉め、ヘソ下までズボンを上げて盆正月を除く360日を過ごしていた。


過ごしていたが、結局学校はやめた。高校2年生の晩春だった。底辺でもしがみついていた進学校の末席は、1人の英語教師の言葉によって呆気なく色を失った。ここに関しては割愛する。

いずれにせよ、僕は暑くなり始めた地方都市の中で無職となった。16歳の無職が着てもいい学校制服などあるはずもない。僕のクローゼットにはパジャマと肌着と紺の靴下、お下がりのパーカー、僕の名前だけあだ名ではなく苗字で刻印されたクラスTシャツしかなかった。辟易するほどの黒と紺、時々ベージュ。おじさんかよ。そういえば休日のお父さんルックといえば白のポロシャツにベージュのチノパンという偏見があるが、実父の「休日のお父さんルック」に関して記憶に残っている最後の姿はピンクグレープフルーツ色のシャツと白の麻のパンツだ。その日を境に父は姿を消した。あのピンクグレープフルーツ色のシャツがどうなったのかだけが気になる。多分似合わない色なので着たいわけではない。


今もクローゼットを開けてみれば、日々を最低限過ごすためのパーカーやジャケットしか入っていない。しかし一般的なオタク男性のクローゼットの中身とそう変わらないのではないかと思う。この国には未だ男性のファッションというものに無頓着だ。女性にばかり華やかさを求め、男性はヒゲさえ剃って黒髪でいれば適当でも許される。というか、諦められている。あまりにダサい二律背反である。じゃあ男にも女にも所属できない人間は何を着れば良いのだろうか。




ところで最近、友人がaxesやAmavelに目覚めた。

知り合ったのは高校生の時だが、当時はパーカーばかり着ていた。正直言うと、非常に過去の自分と似ているように思えた。

それが最近ではよくお人形さんのような服を着ている。会う時は大抵セーラーリュック、ベルトやリボンなど工夫したちょい足しポイントを教えてくれる。

いいなあ、と思った。


推しに会うためにオシャレして上京してくるフォロワーがいる。

バチバチのピアスと青髪で宇宙柄のパーカーを着て、「これが私の鎧だ」と言うフォロワーがいる。

「クリスマスだからタトゥー増やしてきた」と写真をあげていたフォロワーがいる。

みんな、いいなあ、と思った。


先月、ずっと憧れていたきゃりーぱみゅぱみゅのコンサートに行った。夢のような光景で、幻のように楽しくて、魔法のように綺麗な夜だった。何より、普段行くアイマスのライブと違うのは観客もコスプレをしていることだった。アリスのような衣装の少女、二人合わせてつけまばっちりの目を表現したドレスの中学生くらいの女の子たち。客層が違うのでどちらを批判するわけでもない。

だけど、質問コーナーで手を挙げた自分の腕は、間に合わせのベージュのセーターに包まれていた。大学受験の頃から着ているものだ。だっせぇな、という気持ちが頭の隅に浮かんだ。


今月末に同人イベントがある。サークル参加をするのは3回目だ。前回と前々回は夏の参加だったので、冬のイベントは初めてだ。そして気付くのだ、まともな冬服がないことに。

「いいなあ」の仲間に僕もなりたかった。他人と会う時くらい、イカす自分でありたかった。


買うしかねぇ。とびきりイカす、皮膚のように馴染む洋服を。



そんな時、ACDC ragの洋服がツイートで回ってきた。スーパービッグサイズのパーカー。袖は余り、裾はワンピースのように長い。くまちゃん柄が最高にクールだ。

これだ、と思った。通販するつもりだったが、翌々日には原宿の実店舗に降り立っていた。

先日行ったパーソナルカラー診断ではブルベ夏だと言われたので、柄のくまちゃんはブルーにした。青は好きだ。青いし。

買って帰って、袖を通して、 長い裾をつまんでくるくる回ってみた。「自分で買った好きな服を着ている」というだけで泣いてしまいそうだった。鏡の中で佇む色の抜けたシルバーの髪の人間は男とも女ともつかない。「女っぽく見える男だから」という理由で仕事を不採用になりかけたこともばかばかしくなるほどに、ただの僕がそこにいるだけだった。可愛い自分がそこにいるだけだった。


最近になって時々、かなちゃんにもらった、リボンがついたピンクの服を思い出す。

ピンクも、可愛いことも、何の罪でもなかった。本当は僕の仲間だった。だけどあの服は僕のためのもではなかった。ほんのわずかな罪悪感とともに、そう思う。


「自分はもしかして自分を愛してもいいのではないか」「自分はもしかして可愛いのではないか」と思い始めて約3年。『カワイイは研鑽する全ての者のために』という記事を書いて1年半(※)。なんと遅々とした行動だろうか。だが行動に耐えないほど遅いというわけではない。足は動く。服は着られる。僕はまだ若い。10年経ったって、20年経ったって、100年経ったって、僕は若い。くまちゃんのパーカーを着て、パンダのリュックを背負って、宝石みたいなピアスをつけて。

嫌われたり、たまに好かれたり、陰口を叩かれたりしながらも。それでも好きな服を着て、Beauty Plusで自撮りをして、ブログにあげて、カワイイについて書く権利は誰にも奪えない。

自撮りの中の自分はにやにやと笑っていた。




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最初目元隠してなかったけど、可愛さを誇るよりネットに素顔をあげるビビりの方が勝ったのでモザイクをかけた。可愛さの波動を感じてほしい。


https://udur.hatenablog.com/entry/2018/08/30/200139