原宿に死す

お前が消えて喜ぶ者はオールで殴ればすぐに死ぬ

青い髪を振り乱して鉄の首飾りを外したいんだ

きゃりーぱみゅぱみゅに出会ったのは高度1万mを往く飛行機の中だった。高校1年生、海外短期留学からの帰路である。

留学といえど格別勉強ができるわけではない。英語は今に至るまでずっと苦手だ。この間likeの過去形がわからなくて涙目になった。

そんな自分にとって英語圏への留学は短期とはいえ地獄だった。なにしろ舌先三寸で生きているものだから言葉の通じない場所は手足をもがれて流れる血を止める術もないまま極寒の中に放置されるようなものだった。関係ないが当時季節は冬、気候の変化に留学中三度子供の嘔吐を間近で目撃し海外のウイルスに耐性がなかったためかひどい風邪をもらって帰ってくることとなった。

兎角コンディションは最悪だった。風邪のせいで吐き気はするし頭痛はするし耳抜きには失敗して耳鳴りはするしステイ中かけられた「あなたとても大人しいのね?(話せないだけである)」という言葉が延々と頭を巡る。機内で映画など見られるわけもなく、ただ慰みに音楽を聴いていた。その中でもひたすらリピートしていたのはアメリカ人演歌歌手ジェロがカバーする「勝手にしやがれ」、当時AKB48メンバーであった岩佐美咲がカバーする「瀬戸の花嫁」、そしてきゃりーぱみゅぱみゅの「CANDY CANDY」だった。


https://m.youtube.com/watch?v=UoK8DaJRDaM


今もだが、音楽カルチャーというものにてんで詳しくない。テレビもあまり見ない。幼少期から見る番組といえばNHKディズニーチャンネルである。

きゃりーぱみゅぱみゅ、という存在くらいは知っていた。奇妙な名前の可愛い女の子がモデルをしていたはずがperfumeの演出家にプロデュースされてめっちゃ曲出してるくらいの認識だっただろうか。

だからフライト中の半日聴いていた音楽にも、不思議な曲を甘い声の女の子が歌っている、としか思わなかった。そしてタイトルと名前を見てああ、これが噂のきゃりーぱみゅぱみゅかと思うだけだった。体調不良からの慣れない乗り物酔いでそれどころではなかったともいう。

ただ、繰り返される「CUTIE CUTIE SO CANDY LOVE」だけは帰国して1ヶ月かけて体調を治している間にも耳に残っていた。

砂糖玉には中毒性があるのだ。


そしてつけまの女王と出会う。


https://m.youtube.com/watch?v=NLy4cvRx7Vc


最早概念の輸入である。

この衝撃を表すのに”黒船“以外の言葉があろうか。未だに思いつかない。

感動という言葉すら生温い、これはまさにブレイクスルー、パラダイムシフトである。田舎の自称進学校の底辺で卑屈に笑う男子高校生の凝り固まった思想を飛び越える。


「寂しい顔をした小さな男の子 変身ベルトを身につけて笑顔に変わるかな 女の子にもあるつけるタイプの魔法だよ 自信を身につけて見える世界も変わるかな」


他人を呪って息をした。自分を呪って笑うしかなかった。全てを呪って生きてきた。そうやって見る世界が苦しくないわけがなかった。

積み重ねた怨嗟は重くのしかかる。ただ上を見れば良いなんて言葉は、例え過去の自分にひとこと言えるとしても選ばないだろう。早寝早起きは続けた方がいいぞということくらいだろうか。

それでも、人生のそれなりに早い段階で上を向くことができた。

僕にとっての「魔法」は「つけまつける」だった。


CDショップなど存在しない、精々レンタル落ちした何年も前のCDが捨て値で売られている程度の田舎である。通販でCDが買えることなど知る由もない。近所のGEOでアルバムを借りた。シングルを借りた。結局CDの種類について理解したのはきゃりーぱみゅぱみゅでだった。

何度もにんじゃりばんばんのMVを見た。つけまつけるのダンスを真似した。多少なりとも変声した男子高校生には出しづらいPON PON PONをカラオケで叫んで喉を潰した。ファッションモンスターに触発されて一度だけ原宿に足を運んでみた。極彩色とパステルカラーがお互いに無関心なまま同居する街は行き止まりの少年にも眩しかった。高2になってすぐ学校を辞めた。行き場がなくて毎日マックでゲームしながらキミに100%を聴いた。環境が変わってもインベーダーインベーダーを聴いてのんびり本を読んで過ごしていた。大学受験前日には試験課題図書を読みながらふりそでーしょんを聴いた。大人になりたいと思った。成人式なんて出たいわけじゃないけど、振袖を着たいわけじゃないけど、きゃりーちゃんのように金髪やピンクの髪にしたかった。


長々と半生を交えて書き連ねてきたけれど、自身の体験があるから自分が特別できゃりーぱみゅぱみゅが特別だと言いたいわけではない。これは凡百な、どこにでもいる、ライトファンと、何百万人とファンを抱えるアーティストの、よくある関係性である。

だけど確かに、かつての僕にとってきゃりーちゃんは特別だった。顔の見えない何百万人にそういう「特別」な話があったのだ。そういうだけの話だ。


大学進学後、忙しい一年の中でCDを追う時間もなく徐々に忘れていった。CDを取り込んだウォークマンは実家のどこにあるかもわからない。


だけど、どうしてか今更になって12/8のチケットを取ってしまった。




どうしよう。




アイマス以外のライブ(コンサート?)に行ったこともない。チケットジャムとか初めて使った。あっ定価です。

コンサートってペンラ振らない?よね?物販って何を買うの?ていうか席って立つの?座るの?

右も左もわからず既に泣いている始末である。そもそもなんでこんな急にチケット取ったのか。ここ数ヶ月急速にVtuberにハマっていたフォロワーが推しの引退報告をRTして以降一切のツイートをしてないからだよ。生きてほしい。

そう、だから、人間推しは推せる時に推しておかないといけないのだ。いつだって原稿を書く時は明日の命はないものと心得て書いているだろう、それと同じだ。でも18日締切の原稿は5日現在プロットできたところで、24日締切の原稿は未だ白紙。死ぬのかな?

それでも一度だっていい、画面の向こうで、カラフルなピンクのセットの中で踊っていたきゃりーちゃんを生で見てみたかったのだ。あのKawaiiの体現者が僕の住む世界の延長線上に存在するんだと知りたかったのだ。人間死ぬ時は死ぬ。昨日は4月に死んだ爺さんが食べるつもりで買っていたチーズをアテに酒を飲んだ。これを買った時の爺さんはきっと自分が死ぬことなんて考えていなかった。ただ明日の自分の楽しみのために、すっかり忘れ去られた床下のワインと共に食べようとだけ思っていたはずだ。ならば原稿が死のうが悔いなく前のめりに推して生きたい。もう何の話かわからねぇ。


そうこうしているうちにチケット譲渡者から連絡が来て当日の日程が決まった。もうあと戻りはできない。正直言うとめちゃめちゃ怖い。ついていけるかもわからない。


それでも、楽しもうと思います。以上!








私信:合同サークル持ちかけといてなんだけど新刊落としたらマジごめん