荒野を歩く少女たち
こんばんは、梅太郎と申します。
ツイッターにこういったコメントをいただいたので少し考えてみました。肉じゃがを作りながら。カルーアミルクを飲みながら。
ただ、当方SideMをメインとしているPなので、シンデレラについてかなり的外れなことを言っている可能性があります。ご了承ください。
というより一度たりとも考察なんて立派なことはしたことはなく、全ては妄言と自分に都合のいい解釈です。それでもわざわざ聞いてくださったので妄言でもよろしければ見ていってください。
まずもって、ガールズ・イン・ザ・フロンティアは夢を壊した果ての荒野を歩く現実の曲だった。そう思い聴いた。
曲を聴いて最初に驚いたのは、ファンのコールが曲中に入っていることだった。アイドルたちの歌う曲の中に当然の如くオタクの声が入っているという事実に、賛否は置いてもなによりもまず胸を掴まれたような気持ちになった。
同じ作詞家のあんずのうたのような電波ソングなら話は別である。アイドルという偶像性よりも、双葉杏というキャラクター性をアイドル本人が前面に売りに出した曲だからである。ある種飛び道具とも言える。
しかしガールズ・イン・ザ・フロンティアは「シンデレラ」「舞踏会」とシンデレラガールズを想起させる単語こそ散りばめられているが、曲自体は一般的な、要するにキャラソン感の少ない曲である。そこに前提として「ファンの声」が入っている、そのことはまるで夢から醒めたような衝撃だった。
そう、全ては夢だったのだ。イリュージョニスタ!から一年、長く続けられた一晩の夢は荒野の朝陽を迎えた。
話は変わるが、同時実装された新共通衣装ネクスト・フロンティアも第一に「思いきったな……」という感想を抱いた。
今までの共通衣装といえば、まさにシンデレラのドレスを思い起こすスターリースカイ・ブライト、モデルとなった現実世界の某アイドルグループから着想を得たであろうアクロス・ザ・スターズ、これも恐らく別事務所を参考にしたかスポーティなパーティタイム・ゴールド、夜会服とアイドル衣装の合いの子のようなショータイム・イリュージョンなどである(スタスカの色違いであるディープスカイ・ブレイズはここでは言及しない。関係ないけどスタスカとディプスカを着せてラブデスをMV再生すると重くてエモい)である。元々VRの衣装であったPTGはやや毛色が違いスポーティな印象だが、ほとんどは「女性」のアイドルらしい衣装だった。
そこに登場したのがパンキッシュでロックな新衣装ネクスト・フロンティアである。黒を基調とし、ゴツいベルトには身を固めるようなスパンコール、そして後ろにはドレスの名残のレースの尻尾。
決して今までの衣装を悪く言うつもりはないが、お姫様の殻を破った少女たち、自分の足で歩くシンデレラの衣装であった。
曲の話に戻るが、歌詞はどこまでも夢想に厳しい。少女の頃に夢見たの灰かぶりおとぎ話は埃かぶりとなり、夢を他人に託すなと叱咤し、ガラスの靴で荒野に放り出されれば星の輝きでさえ今の自分には悔しい。
だがそれですら彼女たちは「かけがえない権利」と歌う。シンデレラを否定することはない。ガラスの靴は地平線を追うブーツに、シミひとつないドレスは命綱であるバックパックに姿を変えたのみだ。夢から醒めた先は正夢である。歩き続ける現実のみである。ただそれだけの話であった。
今まで茫洋と抱いてきた「シンデレラガールズ」のイメージは、美しい灰かぶりがプロデューサーという魔法使いからドレスとガラスの靴を受け取り舞踏会で輝くものであった。しかしガールズ・イン・ザ・フロンティアに至った現在、アイドルとは地平を目指す少女たちであり、プロデューサーとはバックパックの荷物を分け合い、血だらけになりながらも共に歩む者とも言えるのかもしれない。
長々とまとまりのない話を続けてきたが、つまるところ「自分の足で歩けシンデレラ」とは何なのか。
フルコーラス歌詞が出ていない以上こうしてああだこうだと言葉をこねくり回し論じるのもナンセンスだが、あえて今述べるならば、ガールズ・イン・ザ・フロンティアが良くも悪くも「プロデューサーに向けられた曲」でない以上、アイドルのみならず全ての少女に向けた言葉と言っても良いのではないだろうか。
誰しも地平を目指す足があるはずなのだ。他人に託してはならない夢を抱いてもいいはずなのだ。現実はそれを突きつける。夢を見る権利はお城で王子様とお姫様の恋を夢想できる少女のみに与えられたものではない。運命共同体、あるいは共犯者である者のみがそれを共有することのできる途方もない夢だ。
こんな感じでよろしいでしょうか。酒が入っているので支離滅裂ですが許してください。
それから、デレステ3周年おめでとうございます。原田美世さんSSR楽しみにしております。
10/21追記